剣豪の影像・5

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岡田総右衛門/おかだ そううえもん(そうえもん)

享保9年(1724年)、武州は葛飾郡惣新田に生まれる。 はじめ、伊庭軍兵衛直保の門にあって、心形刀流を極めるが、やがて諸国遍歴の旅に出る。 そして諸流の玄妙を知り、臑を斬る事(跳び斬り)を創めて、研鑽のすえ、柳剛流をうちたてる。 のちに幕府親藩の一ツ橋家の師範となり、神田お玉が池に道場をかまえる。 二代は岡田作馬之介信忠。 文政9年9月24日、62歳で歿している。
奥村 左近太/おくむら さこんた

天保13年(1841年)、岡山に生まれる。 安政2年、直心影流15代の阿部右源次実晟に入門し、その傍、田宮神剣流の高橋筅次郎の二刀を見て、文久3年12月、直心影流の免許を得、明治4年、藩の武揚館の一等教授となる。 また槍術を香取兵四郎、柔術を石黒左衛門、弓術を吉田民治郎に学ぶ。 明治36年1月11日、62歳で歿す。
遠藤十太夫/えんどう じゅうだゆう

安永2年(1773年)、鳥取に生まれる。 東池田家の壱岐守仲津の臣。 兵学、弓、刀、槍、棒、鎖鎌、捕縄、斥候、手裏剣など50余流の免許を得る。 剣術はもっとも精を極め、今枝流五代の衣笠定石衛門舎政より印可を受け、更に富田流、河合流、直心影流、無外流、新当流などを研鑽し、居合を主とした理方得流を開創する。 寛政5年より諸国を遍歴し、嘉永3年1月27日、78歳で歿している。
河上彦斎/かわかみ げんさい

天保5年(1834年)11月、熊本に生まれる。 文学と剣を轟木武兵衛憲胤に学び、兵学を宮部鼎蔵増美に、皇学を林桜園に学ぶ。 刀法は居合を研鑽し、彦斎流を開創する。 元治元年7月11日、開国論を唱える松代藩士の佐久間象山を京都で暗殺して、“人斬り彦斎”の異名をとる。 のちに藩命で高田源兵衛と改名するが、明治新政府と合わず、明治4年12月4日、小伝馬町において斬罪となる。 享年38歳。